随想 千代の松ヶ枝
浜風に乗ってくる子守唄のような潮騒と松籟のざわめきの協和音が、三十六度の酷暑を忘れさせる別天地ここ吹上砂丘の一角、その緑一色の松の密林の中に立つ白塗りの数棟の県立S病院。
二回の窓際に寄り添って、澱んだ病室内と窓外の風景のあまりの不調和に胸が痛む。
ガン患者とそれに類似した人だけの二十近い病室には、軽重の差はあっても、病気に打ち沈んでいる人達の顔が似たような恰好でベッドに横たわっている。
毎日妻を訪ねては「朝食は全部食べた?」「通じは?」「少し歩行訓練しているか」とこの三つの決まり文句を云うだけのためにもう半年近く通っている。
楽しくなるようなニュースでもあれば一番に教えるのだが、毎日のことなのでそうある筈もない。一人やもめ暮しの悲哀等云っても仕方ない。
六人部屋だが時々一つか二つベッドが空になっている事がある。退院か転院ならいいがそうでない場合もあるので「どうしたの?」とは決して聞かない事にしている。数年前、従兄弟や義兄の臨終に立会った日の事が脳裡をかすめる。
笑い声もなく、見舞人との会話も湿っぽい。
見舞品の花束や果物が何日も手つかずで枕元にひっそりしている人もいる。
暗いトンネルに這入った列車はそのうち、緑の草原の鳥や獣の声に歓喜するだろうが、ここでは出口の見えないトンネルに閉じ込められているような悲壮感が漂っている。
「きっと元気になって退院する」と本人も家族も祈っているが、身深く潜んだ病魔は容易に離れてはくれない。近代医学も食生活の好転も嘲笑ってひとり繁栄しているようで憎らしい。
気さくな隣のベッドの中年の婦人が
「あなた、毎日欠かさず来ていますね。子供さん、お孫さん達も見えますよ。私、何時も羨ましいと眺めているんですよ」と語りかけてくるのをみると余り見舞人も来ないのだろう。
そう云われてみれば私達は恵まれているかもしれない。一緒に生活してはいないが、月一回顔を見せる息子は医者だし、長女も一級介護士で時々病人の体や髪を洗ってやってくれる。孫娘は薬科大学院の学生で既に薬剤師の資格を得ている。先日結婚した孫の新妻も看護士ときている。病人にとっては身の廻りは有難いスタッフ揃いと云えよう。
傘寿近くになって大腸ガン手術、安心する間もなくガン細胞は肝臓と肺に侵入していた。
国民の死亡者の三人に一人はガンによると知らされて、「妻よお前もか」と口走った私でした。
すやすやと眠りかけた妻から目を離し、窓に立ってしげしげと辺りを見廻す。
人里離れて海辺近くの白砂青松の真っ只中で空気は清浄、土地は国有地、この地の利を得て結核病院が建てられ、後年総合病院に拡大して、老人ばかりの土地柄では有難い施設。
病院を一歩離れると周囲は自然そのまま、電柱やコンクリート等はなく、思う存分枝を伸ばした数知れない松の大木が何処までも続く、時代劇映画のロケ地にはもってこいの場所だと思ったら、下枝をかき分けて騎馬軍団の一隊が突然現われた錯覚に陥った。すると「荒城の月」の一節が口をゆいて出た。
千代の松ヶ枝わけ出でし
昔の光今何処
短い人生の幕引き間近の人の胸に去来するものは何だろう。
蒼白な顔と痩せ細った五体,力のない会話の病人,それを見下ろして
「二百年も三百年も生きてやる」と誇示しているような頑健な松。
真っ赤な太陽が緑の海に沈んでいった。
(永田英彦氏 記)
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