父と亡母との語らい
幸子ようれしいか 秋夫とふたりで 素子の結婚式に行ってきたよ 喜久もやっと嫁をとって もう少しで父親になろうとしている お前が息をひきとってから 十六年 それはお前とつれそった年数と同じになってしまったが こうしてお前に呼びかけても 生 の答えのかえってこぬことぐらいは もう いくら鈍感なわたしだって 納得せねばならないのだ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 幸子よ 寝覚めの寝台車の床に 期待もしないのに あらわれたのはどういうわけなのか わたしの純情な呼び掛けは影うすれた しかし私の心性は 時をまって情緒にかえろうと志すのか 早く母を失った子であれば それ故のみじめさは感じさせまいと 手許くるしくても 友人先輩の支えだけで 反抗に燃えて挙式するのもよいかもしれぬ 趣味としてそうおもったりする 秋夫が現在の境遇であればあるほど (現世的な非難はいくらでもできる) お前の末っ子が成人しかかって いまだにおのれの道にためらっているままに お前のいまわの際に こども こども (たのむ) と声なき口もとを動かした 十六年の坂を越えて 責をはたそうとしたというのか わたしの愚痴っぽさは 人は聞き飽きる 秋夫は私に注意する お前さんのは式にいうようなことばじゃないと かまわないさ
魂はもはやきょきでもなく叫喚でもない わたしはただ(おそらく) 見守りたいだけ 生あるかぎり そうしたいだけ いまわの床で 台所にいた三歳の秋夫が大きな声で 「まんまごせ」 とどなっているのを 「アレまんまごせとや」 と病にさいなまれているおのれの苦しみを瞬時忘れて口走った その前後の呼吸マヒで苦しく 生きたく苦しく しかしそのわが子の無心の叫びは 母の耳をとらえて 瞬時業病との戦いを忘れたかにみえた
ああその秋夫と 東京に 素子の嫁入りにいってきたよ
*古いノートの中に挟んだままになっていた紙切れ・・・ 家出して広島の四畳半のアパートで自炊生活をしていた僕を 姉の結婚式にムリヤリ?引っ張り出した父・・・ 父が何を想い、何を目論んだのか・・・何も知らなかった僕 二十歳前の僕は、親にとってどんな息子だったのだろうか? *先日テレビで、JRの(東京と山陰地方を結ぶ)夜行列車 <いずも>号が、長い歴史に幕を降ろしたというニュースを 見た。おそらく遠い昔のあの時の列車も<いずも>号であった に違いない。あのころの鈍行夜行列車であったからこそ・・ 亡き母も父の前にあらわれたのではなかろうか?その時・・ 父のすぐ横の僕には気付いてくれていたのだろうか?
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