良寛禅師戒語
久し振りに田舎の父から便りがきた。「何かの全集だったと思うが(良寛戒語)があったと思う。メモしていたが半分が分からない。探して書き写して欲しい」
良寛・・・僕のイメージは子供と遊ぶやさしい和尚さん・・。 はて・・どの全集なんだろうか?手当たり次第目次をパラパラしてみたが見つからない。こんな探し方じゃダメだな・・・そう思った。
数日後、偶然見つけた。あった!あった! 読んでみていきなり僕のイメージの甘さに恥じる思いだった。 「良寛は二十四五歳から四十二三歳まで、おおよそ十七八年の永い、備中玉島の円通寺という寺で、禅の修行をされたのです。そして師匠の死によって故郷へ帰られてからも、ひたすら禅の修行の一道を歩まれたのです。しかるに残念なことには、このような修行期の趣をつぶさに記したものは、ほとんど見当たらないと言ってよいのです。そしてそのために、童心などという言葉も、とかく上滑りに甘く解されているのです。ところが修行期の良寛の心構えが、如何に厳しく、かつ細やかだったかと言うことを伺うべき、一つの手がかりがあるのです。それが(良寛禅師戒語)と呼ばれるものです。」
さてその肝心の戒語〜九十ヶ条ある。全部は書けない。僕の心にとまるものを書き出してみよう。
一 さしで口 一 能く心得ぬ事を人に教うる 一 自まん話 一 子供をたらす 一 たやすく約束する 一 ことわりのすぎたる 一 人のはなしのじゃまをする 一 しめやかなる座にて心なく物いう 一 物知り顔にいう 一 へつらうこと 一 悪しきと知りながら言い通す 一 人のかくすことをあからさまにいう 一 はやまりすぎたる 一 己が氏素性の高きを人に語る 一 品に似合わぬはなし 一 さとりくさき話 一 はなであしらう 一 さしてもなきことを論ずる 一 おれがこうしたこうした 一 田舎者の江戸言葉 ・・・・・・・・・・・・
「自分を磨く工夫を、これほど細やかに記したものは、ほとんど他に類例がないでしょう。終日子供らと遊び暮らすには、先ずこの程度の修行をして、徹底的な人間の(あく抜き)をしてからでないと、本当には出来ないことです。もしこれなくしてただ子供たちと遊んでいるというんでは、それこそ大馬鹿者です。」
なんか先生に教え諭されるような心境の僕でした。
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