背景の記憶(207)

 空には梅の花が、土には福寿草が、春の光をいっぱい浴びています。その光の中から嬉しいお便りが届きました。思いがけないお便りに接して、今日は一日、うきうきしております。
 歌友・・・なんてよい言葉でしょうか。三國さんのような方に、歌友なんて呼んでいただけて幸せいっぱいです。

 わが歌に熱きおもいを寄せたまいし君の消息絶えて久しも

・・・とかなしいい思いを詠まずにいられなかった時もありました。でも、三國さんの美しいお言葉の詰まったお便りをいただくだけで、そんな寂しい日々のことなど、吹き飛んでしまいます。

            「沈黙のひと」 小池真理子



亡き父にも・・・

同じような対象者がいたと記憶している。父の場合は、短歌ではなく俳句で歌友に合わせて言えば、俳友と言うべきか。作中の夫人と同じく、父の妻(僕の義母,継母)も、こうした手紙のやりとりには、大いに嫉妬したと聞いている。今風に言えば、奥さんに隠れてメールのやり取りをしていることとでも言おうか・・・。時代として、携帯もない時代における、手紙のやり取りには、それなりの重みと言うか深みというか、女性からの手紙というだけで、奥深いものを感じさせる何かがあったに違いない。

posted by わたなべあきお | - | -

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